1997年9月17日、
母の誕生日、そして
それを忘れて
一人旅に出た日。
病を治したくて。
母の悲しそうな顔を思い出す。
シンガポール経由での
パリへの無謀な旅。
心を病んでいた時の決断だった。
転地療養になると信じて。
パリに向かう飛行機の中で、
ロザリオを唱えながら、すでに
私の心はどこかへ彷徨っていた。
オルリー空港ヵら
ベルサイユに向かうタクシーの中で、
意識を失った。
太陽が燦然と輝くお花畑に
私はいた。
太陽はそこにあった、
手の届くところに。
遥かなる懐に抱かれるような
光と温もりだった。
気が付いたら、
パリの病院のベッドの中にいた。
計らずも、
パリを発ったのは10月3日、
成田に着いたのが10月4日。
聖フランシスコの帰天記念日だ。
あとで知ったのだが、
9月17日は聖フランシスコの
聖痕の祝日だった。
私は、母と聖フランシスコに
守られていたのかもしれない。
数字が、それを教えてくれている。
それとも、ただの偶然だろうか?
今でも、時々考える数字の不思議。
(2021年 4月16日)
訳者