私の不調は、
哲学的に生きるために
人生を見つめるために
賜ったものかもしれない。
パリで倒れたのも、
苦しみを体験して、
苦しみの向こう側に
思いを馳せるためだったのかもしれない。
人生は不条理だと、
アルベール・カミユは言った。
若い時は私もそう思った。
でも、年を重ねて、
苦しみの意味に、
不条理の向こう側に
向ける目が変わったような気がする。
そんな時に、コロナに出合った。
コロナは不条理そのものだ。
コロナの向こう側に
いったい、なにがあるのだろう?
文明が変わるのだろうか?
新しい時代がやってくるのだろうか?
コロナはなにをもたらすのだろう?
若い人たちの夢は、
価値観は、期待は
どうなっていくのだろう?
負の遺産でなく、
素晴らしい未来を
若い人たちに託したい、
明日を信じて。
(2021年5月31日)
訳者