私は闘う姿を尊いと思う。
抵抗も、闘いも、
平和と同じく尊い。
できることなら、
闘いたくないと思う人は多いだろう。
でも、尊厳を賭けている時、
静かな人にも闘志が湧く。
平和を願う気持ちは同じでも、
置かれた立場がちがうと
表れる行動は異なる。
当事者は闘うのだ、
特に尊厳が傷つけられている時に、
不当な扱いを受けている時に。
闘いの果ては、勝っても負けても
ボロボロになる。
いや、負けはないのだ。
尊厳を賭けた闘いに負けはない。
年を重ねると、病も加わると、
エネルギーが不足するから
なかなか闘いに加われない。
でも、祈りもエネルギーだ。
当事者でない私は、
闘う彼らに
祈りでエールを送りたい。
(6月25日 香港の人を想う)
(訳者)