今日は、聖ボナヴェントゥラの祝日だ。
若い頃、ニューヨークの聖ボナヴェントゥラ大学で
単期間だが、学ばせていただいたことを懐かしく思い出す。
先日偶々、彼の短い伝記を訳す機会に恵まれた。
ここにご紹介したい:
フランシスコ会総長、教会博士
(1221-1274)
オルヴィエトの裕福な家庭に生まれたボナヴェントゥラは、パリ大学で学んでいた1238年頃にフランシスコ会に入会しました。聖フランシスコはそのわずか12年程前に亡くなっていましたが、その会はヨーロッパの教会の姿を急速に変えていきました。ボナヴェントゥラには、フランシスコ会は「人間の知恵によってではなく、キリストの御摂理によって生まれたものに思われました。そこでは、学識のある者も無学な者も兄弟として暮らしていました」
ボナヴェントゥラ自身は明らかに学識者の一人でした。フランシスコ会の純朴さは、そうした学識者には魅力的なものには映らなかったかもしれません。実のところ、フランシスコは学識と言うものを、それが聖性の追求に先んじるものでない限り、大変重んじていました。この精神のお陰で、ボナヴェントゥラは学問を続けていくサポートを会から受けることができたのでした。1257年に、ドミニコ会の聖トマス・アキナスに並び、神学博士号を取得しました。
しかし、ボナヴェントゥラは、神学者として学術的な人生を歩む代わりに、小さき兄弟会の総長に選ばれてしまったのです。それは、いつまでも影響を残す役割でした。兄弟会の中で派閥争いがあった時、ボナヴェントゥラはフランシスコの徹底した自由の精神と修道共同体としての規律ある秩序との間の中道を巧みに進んだのでした。フランシスカン霊性についての自分の中道的な解釈を補足するために、彼は聖フランシスコの大伝記を書きました。彼の努力は実を結び、彼は第二の創設者として知られるようになりました。
彼は他にもいくつかの大作を残しており、「精神の神への道程」という神秘主義的論文はその一つです。これは、フランシスコのキリストとの合体を哲学的な表現で解釈したもので、聖性の道を辿る魂の旅路、被造世界の観想から霊的秩序の観想へと導き、最終的には神との一致という目標に至るものです。
1265年に、ヨークの大司教への就任を恭しく断りながらも、1273年に彼は、教皇グレゴリオ10世からアルバノの枢機卿の称号を受けるように命じられました。教皇特使が彼に赤い帽子とバッジを届けるために訪れた時は、彼は皿洗いが終わるまで特使たちを待たせました。自分の霊性について、彼は次のように述べています:「修道者の完徳とは、完璧な形で平凡なことを行うことであり、些細なことに忠実であることこそ、偉大で英雄的な徳なのです!」
ボナヴェントゥラは1274年に亡くなりました。1482年に列聖され、後に教会博士と宣言されました。彼の天使的な徳を称えて、熾天使的博士とも言われています。
すべてを学んでもキリストを学んでいないならば、何も学んでいないことになる。何も学んでいなくてもキリストを学んでいるならば、すべてを学んでいることになる。 ー聖ボナヴェントゥラ
(2021年7月15日 ロバート・エルズバーグの「フランシスカン聖人伝」より)
(訳者)