感性豊かな母だった。
戦後大連から引き揚げてきて、
無一文の状態でスタートした
内地(と母は言った)での生活。
洋裁、編み物、刺繍、ろうけつ染め、
パッチワーク、料理、俳句、
なんでも器用にこなす母だった。
苦労をいとわず、貧しい中でも、
豊かに育ててくれた。
今の私があるのは、
そんな母のお陰。
何でもできた母が、
倒れて、何もできなくなった。
どれほど辛かっただろう。
父が倒れたとき、
父を見舞う道すがら
母の詠んだ一句が忘れられない:
「凍て月の 真下に光る 涙星」
倒れてからの母の胸には、
どれほど多くの句が
浮かんでいたことだろう。
想いを口にできない辛さを
口にできない喜びを
きっと、数々の俳句で
心に詠んでいたことだろう。
母の無言の世界は
きっと、豊かだったにちがいない。
かまびすしい世間からは
想像もできないほどに。
母の静寂の世界を想うこのごろ。
母の思い出は尽きない。
(2021年9月17日、亡き母の誕生日に)
訳者