25年前の手紙のコピーが出てきた。パリで倒れた時のことを綴った手紙だ。
貴重な記録なので、恥を忍んで、ここに残したい:
シスタークララ谷口、シスターバーバラへ (1997年11月2日)
こんにちわ。シスター、パリ事件と私のフカフカ頭に関してはいろいろありがとうございました。私は今もって、mental と spiritual の境界がはっきりしてなくて、記憶の断片が幻覚なのか事実なのか定かでない部分が残っていて、しっくりしないところがあります。でも、回復してきたのだから、そこまでこだわらなくてもよいのかもしれないと自分に言い聞かせながら、これを書いています。
9月22日~23日に Singapore から Paris に向かう飛行機の中でパニックに陥り、着陸1時間ほど前にオート発話とでも言うのでしょうか、唇がひとりでに動いて猛スピードで英語のめでたしを49回(なぜ49回なのかはわからず)唱えたこと(唱えたこと自体は事実と飛行機の隣に座っていた女性に後で確認済み)、私が血の汗を流していると言われたこと(多分幻覚)などが不思議です。
そして、空港からヴェルサイユのホテルに向かう筈のタクシーの中で手足が死後硬直のようになり、顎がマヒ・痙攣する中で二つのことが頭の中にハッキリありました。それは、このままホテルに行って途中で死んだら、親切なタクシー運転手に迷惑が掛かること、顎の痙攣がそのままに中途半端に生き残ったら、辛い人生になるということの二つでした。それで、病院に大至急直行してくれと運転手に頼んだのでした。その間、私は黄金色に輝くお花畑でものすごく身近に太陽を感じながら、心臓と頭だけが生きていて、体の他の部分は血の気のない状態で横たわっておりました。でも、感性はエクスタシーそのものでした。
最初の救急病院で、助けようとしてくれた医師や看護師たちにナントあろうことか説教し、文句を言った覚えがあるのです。それも、立派なフランス語で。時には英語も交えて。英語の方が上手く言えると判断したところはですけど。なんと言ったかと言いますと、「あなた方フランス人は ”Oui, j’ai bien compris, Si!” なんてしょっちゅう言っているけれど、本当はなんにもわかってないんじゃないの。瀕死の病人が、外国語で必死に説明しているのに、入れ代わり立ち代わり別の医師や看護師が入ってきてどうしました?なんて聞いて病人に何度も同じことを説明させて消耗させていいいの?どうして複数のスタッフが同席して問診してくれないんですか、私はテープレコーダーじゃありません。テープに吹き込んでほしいくらいです。本当に bien compris なら、何度も同じことを繰り返して聞きませんよ。だいいち、いちいち人の話を遮って、聴いていないじゃない」みたいなことを言ってのけたんです。その間もちゃっかり「お願い、助けて。J’ai besoin de votre aide. Vous etes tres gentils…」などとなだめすかしたりもして。しかも時折 “Hail Mary full of grace = Je vous salus Mary” の祈りも唱えたりして。これは幻覚ではないような気がします。
結局そこではジャムとバターを塗ったフランスパンとヨーグルトを食べて元気にさせてもらって、さらにパリのFMMに連絡してもらいました。シスターバーバラと電話で話したのはその後です。それから St. Anne に回されたと記憶しています。
上記の説教の件、立派なフランス語の筈がないですよね、顎がマヒし痙攣していたのですから。でも、自分では、どうしてこんなにすらすら必要な単語がでてくるのだろうと感心するほどだったのです(笑!)
次の病院に移る際の救急車の運転手には今度は “Je ne suis pas venue ici pour survivre. C’est pour vivre au soleil, dans l’air pure. S’il vous plait, ne me conduisez pas a l’hopital…mais au Versaille…” とかなんとか言って、運転手に同情の涙を流させたりしているのでした。
ただし、次の救急外来では日本大使館の方にお会いした頃にはもう待ちくたびれて疲れ果て,正常と異常の境界が曖昧になっています。もう夕方17:00ごろで、真夜中にSingapore を発って翌朝09:00ごろタクシーに乗って、その間ほとんど飲まず食わずでしたから。太陽に当たらないと私はもう手遅れになっちゃう、とか、自己確認を、何度も自分の名前を言ったり、「太陽、太陽」と大声で言った記憶もあります。そして、太田先生に「治してあげます、私のことわかりますか」みたいなことを言われて、「はい」と返事したのを覚えています。でも、もうその後は23日の夜入院したらしいのですが、24日の記憶は定かでなく、わずかにつけた日記から、その日の早朝に何度かショーツ一枚でベッドに寝ている自分を発見、ショック(笑)そして起床後シャンプーをし、太田先生の面接をレロレロの状態で受けたようなのです。
太田先生には、「とにかく食うちゃあ寝るをしてください」と言われ、そうしました。その後いろいろな夢を見ました。Lourde の泉を訪ねて、お水を頂いてきた夢も見ました。多分昔母と行った記憶が潜在的にあったからでしょう。
偶然の数字合わせとはいえ、聖フランシスコの聖痕の日に出発し(9月17日がそうとは知らずに)、聖フランシスコの祝日(10月3日に発って4日に着いた)に帰国したのも不思議です。
くだらないことをいっぱい書いて申し訳ありません。私としては、貴重な体験の記憶が薄れないうちにどこかに書き留めたいと思いながら、きっかけがなくて書かずにいたものを、今一気に書いてしまいました。
シスター、いつも、ありがとうございます。Much love and thanks.