著者のブログ

原作Foal and the Angelsが生まれた背景

私が21歳の時に、とても特別な体験をしました。友人にチベットの瞑想に誘われたのです。すごく緊張してナーバスになっていたのを覚えています。
それまで瞑想なんてしたことがなく、初めての体験でしたが、東洋の文化には興味があったので、参加しました。

その時の出来事で、今でもありありと思い出すのは、ラマが聖遺物らしき物を手にして参加者一人ひとりに近づいてきた時のことです。私は、雑念にとらわれて、瞑想どころではなかったのですが、それをラマはお見通しに違いないと気が気ではありませんでした。ですから、自分の番になった時、雑念だらけの自分が恥ずかしくて、叱られるのを覚悟していました。ところが、次に起こったことは、理屈を通り越した、説明のできないようなことだったのです。ラマが、聖遺物らしき物で私の額に触れると、世界は消えてしまったのでした。
まさに「光」の感覚!光の波がお腹の中から湧きあがってきて、どんどん外に広がっていくような感じでした。本当に不思議な感覚でした。

この後、私は自分が変わった気がしました。すごく落ち着いていて、バランスが取れていて、完璧だと。怒ることさえできなくなっていました。
どんなに頑張っても、いつもならすごくイライラさせられるような状況に置かれても、怒る気になれないのでした。今でもその時の気分を覚えています:「どうしよう!怒れなくなっちゃった~」

その至福感は2~3週間続きました。やがて、それは消え失せましたが、私の心に深い印を刻みつけました。なぜそんなことが起こったのか、今でもわかりません。
フォールの物語に記された短いけれども濃密な啓示の瞬間は、この時の私の気持ちを表現したものです。私はただただ驚き、目のくらむ思いがし、信じられないことを信じさせられたと感じました。

本に書いたメッセージや夢は主に2004年から2010年に受けたものですが、事の起こりは、1975年にまで遡ります。

それをお話しする前に、お断りしておきたいことがあります。それは、私はニューエイジの人間ではなかったということです。それははっきり申し上げておきます。ニューエイジは、私の世界ではありませんでした。実際、ニューエイジと言う用語すら、ある本を読むまで、聞いたことがありませんでした。その本では、とても手厳しく扱われていたので、私は最初から、ニューエイジに対しては偏見がありました。

ところが、50歳になる前のあるクリスマスの日に、娘からニューエイジの本をプレゼントされたのです。ロナ・ハーマンの「光の翼」でした。
今でも良く覚えていますが、それを読み始めたのは、他でもない、娘がオカルトにはまってしまった、何とかしなくてはとの思いからだったのです。
実に素晴らしかったこの本は、私にとって真の啓示となり、思いもよらぬ方法で、私の人生を変えたのでした。読んでいるうちに、不思議なことが起こったのです。それはまさに私の気づきを促す「目覚まし時計」でした。

あるページを読んでいる時に、「われは大天使ミカエルである」と言う言葉が飛び出してきて、私は完全に圧倒されました。なんと表現したら良いのかわかりませんが、ものすごい存在感のあるその言葉に私の目はくぎ付けになりました。そうです、それは巨大な存在として、私の目の前に現れ、強烈に私の胸に響き、私は思わず後ろに押されたような感覚を覚えました。そして、頭の中に声が響いて来たのです:「ほら!わたしだ!目を覚ませ!忘れたのかね?」

私は徹底的に揺さぶられました。あまりにもリアルだったので、合理的な説明が欲しくてたまりませんでした。こんなことは、とても人に話せることではなく、私は自分の胸の奥深くにしまっていました。そして、何とかうまく折り合いをつけていこうとしていた時に、畏怖に満ちた夢を見るようになり、体外離脱体験まで始まったのでした。

そればかりか、エッセンス(エネルギー的な本質)みたいなものが纏わりついて、私に何か伝えようとしているという感覚を振りほどくことができませんでした。そうした出来事がすべてどこかで繋がっていることに気づいた時、私は、大天使ミカエルを感じたあの瞬間が、まさに「クラリオンコール」(明確な呼びかけ)であることを悟ったのです。

こうしたことはすべて同時に起こり、私の中には数えきれないほどの質問と、もっと知りたい、もっと理解したいと言う思いが湧きあがってきました。以来、自然に、毎日祈りと瞑想を続けるようになり、そこから、私の自己発見の旅が始まったのです。
瞑想の最中や夜眠りにつく前に、この本に記したようなメッセージのすべてを(本当は、もっとたくさんあるのですが)頂きました。言葉がよどみなく流れるために、私はその速さについてゆけず、時には一語や二語、飛ばさざるを得ませんでした。

本に書いたことは、6年簡に起こったことを、重複を避けながら、より短くしてあり、覚えていることをありのままに、正確に、少なくとも感じたままに描いたものです。

ナナ・F・ムザカ(著者)